2026.04.08
「京都は、一つの顔では語れない」ー観光の京都、学生の京都、働く京都をShuJu不動産のスタッフが解説
私は京都出身ではありません。
けれども、観光で京都を訪れたことがあり、学生時代を京都で過ごし、いまは京都で働いています。
しかも、ShuJu不動産は京都の路地裏で開業し、この街で不動産業を営んでいます。気がつけば、京都とそれなりに長い付き合いになってきました。
こういう立場にいると、京都という街は、どうにも一つの顔では語れないなと思います。
見る角度によって、まるで別の生き物のように表情を変えるからです。
外から京都を見てきた視点と、この街で日々働く視点の両方を持っているからこそ、言葉にできることがあるのではないか。
そう思い、今回は「多面的な京都」について書いてみたいと思います。
多面的な京都
京都には、少なくとも三つの顔があります。
観光で訪れる京都、学生として過ごす京都、そして働く場所としての京都です。
どれも同じ京都のはずなのに、なぜか見えてくる景色が違う。
この「同じなのに違う」というところに、京都のややこしさがあり、同時に面白さもあるのだと思います。
夢の時間としての京都
最近、京都についてのあるポストが広く読まれていました。
京都ってのは学生の時に4~6年くらい住んで卒業したら東京や海外に行って働くか研究するか何かしらに没入して、それなりに使える金が増えたら時々旅行にきては懐かしむくらいがちょうどいい。夢の国に住むのは疲れる。
— 金沢 容 (@kanazawa_you) April 6, 2026
なるほど、と妙に納得してしまいました。
「夢の国」という言い方が、少し大げさなようでいて、案外そうでもないからです。
たしかに、学生として過ごした京都は、たしかに夢の時間に近いところがありました。
まだ自分の進路や立ち振る舞い、社会に対する態度を決めきっていない時期でもあります。ちょっとしたことで心が大きく動いてしまう、そんなお年頃です。
知らない町を歩くだけで、新しい自分になれそうな気もする。
実際、大学進学で京都へ来るというのは、それまでの土地や人間関係から少し距離を置き、自分を組み替えることでもあったような気がします。
人生の模様替え、あるいは、かなり大がかりな引っ越し。
そんな風にも表現できるかもしれません。
大人になるまでの過程を、春は桜が舞い、夏は夜風に吹かれながら鴨川で酒を飲み、秋は紅葉に満ちた景色のなかでバスの停留所に立ち尽くし、冬は雪がちらつくのを眺めながら底冷えからこたつへ逃げ込む。
そんな京都の四季のなかで過ごす学生時代は、人生のなかでも特別な時間なのではないかと思います。
だからこそ、「夢の国」という言葉に私はうなずいてしまいました。
夢を描いていく過程そのものが、京都にはたしかにあるからです。
私たちは、大学進学にともなう家探しをこれまでたくさん手伝ってきました。
今年も、もちろん例外ではありません。
だから、十八歳前後のあの独特の空気を、毎年のように感じます。
期待と不安が半分ずつ入っているような新入生と、現実的なことを考えている親御さん。
ただの部屋探しではあるのですが、見ていると、そこにはそれ以上のものがあります。
新しい暮らしを選ぶというより、新しい人生の入口に立っているように見えるのです。
あれは、やはりまぶしい。
こちらまで少し背筋が伸びるような、そんなまぶしさです。
生活する京都
けれども、京都にはもう一つの顔があります
生活する京都、働く京都です。
逆じゃないかな。20代とか若い頃に東京に住んで働いて、大都会を肌身で感じた上で、故郷や住みやすい地方で暮らし、たまに仕事や遊びで東京にきて都会や流行を楽しむくらいがちょうど良い。
あと、学生の頃に見える京都や観光の時に見える京都と地域に根ざして暮らして見える京都は景色がかなり違う。 https://t.co/kV13FoJD8A
— 大津 裕太(京都市会議員/地域政党京都党/中京区選出) (@yuta_otsu) April 7, 2026
京都で商いをしていると、学生時代を京都で過ごした人と話していて、たまにほんのわずかなズレを感じることがあります。
同じ京都の話をしているはずなのに、見ていた京都が違うのです。
学生として出会う京都は、よそから来た若者に対して、比較的おおらかです。いわば、「お客さん」として迎えられている面もあるのだと思います。
もちろん人によるし、場所にもよります。
けれど、少なくとも人生の入口にいる若者に対して、京都は案外やさしい。
一方で、仕事となると話は別です。
人との距離感、言葉の含み、表には出てこない前提のようなものが、急に増えていきます。
他所の人がその場に立てば、「ああ、これが京都のいけずというやつか」と思いたくなる場面も、たしかにあります(聞いたことだけしかありません)。
そう言ってしまえば簡単ですが、それだけで片づけてしまうと、大事なものを取りこぼしてしまう気もします。
この町には、長く積み重なった時間の分だけ、言葉をまっすぐに投げすぎない文化があります。
なんでも正面から言えばよい、というわけではないらしいのです。
面倒といえば面倒です。
しかしながら、そういう面倒くささごと含めて、町の手触りになっているのだと思います。
京都は、住んでみると少し疲れる。
この感覚はわかる。とてもよくわかる。
でも、だから嫌いになるかというと、そうでもない。むしろ、面倒くさいのに気になる、理屈ではない引力のようなものが、この街にはあります。
不動産の仕事をしていますと、その引力の正体を考えることがあります。
京都は、美しいから選ばれるだけの街ではありません。暮らしやすさだけで選ばれる街でもありません。便利さや合理性だけなら、ほかに都市はいくらでもあるでしょう。
それでも京都を選ぶ人がいて、京都に戻ってくる人がいます。
たぶんこの街は、人生のある時期に深く触れてしまうと、あとになっても記憶の中で妙に鮮やかなまま残り続けるのです。
観光の京都も、学生の京都も、働く京都も、それぞれ別の顔をしている。けれど、そのどれか一つだけが本当なのではなく、どれも本当なのだと思います。
京都は一面的ではありません
美しいだけでもないし、暮らしやすいだけでもないし、意地が悪いだけでももちろんない。
夢のような時間をくれることもあれば、現実をじわじわ突きつけてくることもある。
だからこそ、京都は飽きない。
少し厄介で、かなり魅力的で、立場によってまるで違う顔を見せるからです。
そういう町を相手に、不動産の仕事ができるのは、なかなかおもしろいことだと思っています。
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