2026.06.04
社宅・家賃補助・住宅手当の落とし穴――60年前からILOは指摘していた
就職したら会社が家を用意してくれる。日本ではこれをかなり素朴に、「ありがたい福利厚生」と見がちです。
実際、寮や社宅や住宅手当は人気があります。2024年のスターツコーポレートサービスの調査でも、「新入社員に戻ったとして一番重要だと思う福利厚生」は「寮・社宅、住宅手当などの家賃補助」が、特別休暇や財産形成支援を抑えて1位だったようです。
住宅コストの重さを考えると、この結果は意外ではないでしょう。
ただ、ここで一歩引いて考えてみると、会社が就職した人に直接家を提供するという仕組みは、本当にそんなに望ましいのかという疑問が出てきます。
もちろん、借り上げのものも含めて社宅が役に立つ場面はよく分かります。地方から上京する人、土地勘のない新人、初期費用を一気に払うのが厳しい人にとって、会社が住まいを用意してくれることには現実的なメリットがあります。
賃貸契約の初期費用は家賃の4.5カ月分が相場とされていますし、引っ越し代や家具家電まで含めれば、家賃の6カ月分近くにおよぶこともあります。就職直後の人にとっては、かなり重い金額です。
ILOは60年以上前から社宅制度の問題点を見ていた
しかし、ILOの1961年「労働者住宅勧告(第115号)」を読むと、話は少し違って見えてきます。
この勧告の基本線は、労働者の住宅は本来、一般的な住宅政策の中で整備されるべきだ、というものです。国の住宅政策は住宅建設と関連施設を促進し、労働者とその家族が十分かつ適切な住宅と生活環境を得られるようにすべきであり、住宅の賃借料や購入費用は収入の「相当部分以上」にならないようにすべきだ、と理解されています。
つまり、住まいは本来、会社ごとの恩恵として与えられるものというより、もっと独立した生活基盤として保障されるべきものだ、という考え方です。
そのうえで第115号勧告は、会社が住宅や共同施設を労働の対価として現物支給することは、労働者保護のために禁止または必要な範囲で規制されるべきだとしています。
ここが重要なポイントです。給料と家が一体化すると、労働者は「辞める自由」を失いやすい。給料が低くても住む場所を握られているから文句を言いにくいし、退職や転職の局面で一気に生活基盤ごと揺らぐからです。
ILOがわざわざここを問題にしたのは、会社が住まいまで支配すると、労働関係が必要以上に濃くなりすぎるからでしょう。
同じ流れで、ILOは、独立した私的機関が公平の原則に基づいて住宅を提供することの重要性にも触れています。ILOは「会社が一切住宅に関わるな」と言っているわけではありません。ただ、雇用主が住まいを全面的に握る形よりも、雇用から少し距離のある供給主体を通じた方がよい、と考えているわけです。
60年以上前の勧告を今風に言い直すなら、「会社が部屋そのものを握る」より、「会社は住宅手当を出し、部屋は市場の中で自分で選ぶ」方がまだ健全、ということになります。
寮・社宅・住宅手当にはどんな落とし穴があるのか
これで、寮・社宅・家賃補助の問題点はかなりはっきりします。
1.退職・転職時のリスクが大きい
まず、寮・社宅は「従業員であることを前提として提供される住居」です。したがって、労働契約の終了に伴う明渡しが問題になりやすい。
会社を辞めた瞬間、仕事だけでなく家まで同時に失う可能性がある。これはかなり大きなリスクです。
住まいが雇用に従属していると、転職や独立のハードルはその分だけ上がります。福利厚生として見ると親切そうでも、労働者の側から見れば、生活の自由度を削る仕組みにもなりうるわけです。
2.職場に近すぎることで生活が仕事に侵食される
第二に、勤務地と住まいが近すぎると、生活の切り分けが難しくなります。
もちろん徒歩圏は便利です。朝も楽ですし、終電を気にしなくていい。しかし、それは裏返すと、生活圏が職場に吸い込まれやすいということでもあります。
あまりに近くに住んでいると、職種にもよりますが「急に呼び出される」「なんとなく対応を期待される」といった事態も起こりやすい。会社の近くに住むことが、そのまま仕事との距離の近さになってしまうわけです。
3.物件を自分で選んでいない
第三に、社宅や寮では、物件を自分で選んでいないことが多い。すると、通勤のしやすさ以外の条件――スーパー、騒音、街の雰囲気、休日の過ごしやすさ、将来の同棲や転職への対応力――が置き去りになりがちです。
住まいは通勤装置ではありません。本来は生活の土台です。にもかかわらず、「会社に通いやすい」という一条件だけで決まってしまうと、生活全体の質は下がることがあります。
就職時の部屋探しは「近い」より「近すぎない」が大事
では、就職時の部屋探しはどうするのが賢いのか。
私の答えは、「職場に近い」よりも「職場に近すぎない」ことです。
徒歩10分圏は一見ラクですが、生活圏が職場に吸い込まれてしまいます。おすすめは、ドアツードアで30分くらい、乗り換え1回以内、できれば職場と最寄り駅を分散できる場所です。
これなら通勤は十分現実的で、しかも職場の空気から少し距離が取れます。飲み会から逃げやすいし、休職や転職のときにも住み続けやすい。会社のそばに住むのは、平時には便利ですが、有事にはしんどいわけです。
これは部屋探しを何度も見てきた経験としてそう思います。
家賃補助・住宅手当は「部屋を握られない」点でまだマシ
加えて、社宅がある会社でも、住宅手当・家賃補助が選べるなら、そちらを優先して検討した方がいい場合が多いです。住まいの主導権を自分に残せるからです。
最初に紹介した調査でも、働く人は住宅系福利厚生を強く求めていますが、求めているのは必ずしも「会社に部屋を握られること」ではなく、生活コストを下げる支援のはずです。
会社がやるべきなのは、住む場所を決めることより、住む自由を支えることなのだと思います。
もっとも、住宅手当・家賃補助も万能ではありません。退職や転職をすればカットされることが多いので、そのリスクは当然考慮しておいた方がいいでしょう。
就職時の部屋探しは「家賃」ではなく「総コスト」で考える
初期費用の感覚は、最初にきちんと持っておいた方がいいでしょう。
家賃7万円なら、「家賃の6カ月分」で考えれば初期費用はざっくり42万円です。引っ越しを伴う就職は、それだけでかなりの出費になるわけです。
だからこそ、
- 敷礼ゼロを活用する
- フリーレントを使う
- 築年数や駅距離で調整する
- 家賃補助込みの実質負担で判断する
といった発想が大事になります。
就職の部屋探しで見るべきなのは、家賃の額面だけではありません。初期費用・補助・退職時の身軽さまで含めた総コストです。
住まいは通勤のためだけでなく、労働の自由を守るためにもある
要するに、ILOの第115号勧告が言っているのは、社宅を全部なくせという話ではありません。
住まいを雇用主に握られすぎるな。住まいはもっと独立した基盤であるべきだ――ということになります。
就職すると、つい「会社に近いか」「入居まで早いか」だけで決めがちです。しかし本当は、その部屋が辞めたときにも住み続けやすいか、転職しても困らないか、自分の生活を会社から守ってくれるか、まで見た方がいい。
部屋探しは通勤の問題である前に、労働の自由の問題でもあるわけです。
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