2023.07.07
店長インタビュー┃京都市東山区 Shisha Cafe&Bar 焔ノ香
東山三条、外国人観光客も賑わう交差点の脇に、「焔ノ香」という和モダンなしつらいのシーシャ(水たばこ)屋がオープンした。
国境・文化を越えて開かれた場には観光客だけでなく、起業家たちも集まり、同じ空間で煙を共有し合い、異質な他者同士もひとときの交感を得る。
既にメガテック資本に生活を支配されて久しいこの時代——未だ燻る火種を、新たに燃え上がらせようと不敵に微笑むこの男は何者なのか。
Horiuchi
お店の開業を考えていらっしゃるお客様に向けて、ShuJu不動産では、自身の通うオススメのお店を紹介していきます!!
今回は、世代や文化を超えて愛されるシーシャ(水たばこ)を作り、web3の界隈でも知る人ぞ知るKoheiさんをインタビューします。
副店長のティノさん(左)、店長のKoheiさん(右)
大学中退、ラーメン屋からホームレスへ
―Koheiさんってホームレスやってた時期もあるとか、けっこうすごい人生を送ってると聞いてるんですけど、まずそこから聞いていってもいいですか。
Kohei:まずウチの父親がすごいサイコパスで。普通に大学も行かせてもらっててありがたいなと思ってたんですけど、途中で判明したのが、僕の銀行口座の履歴で勝手に金を借りて、それを大学の資金に充ててたんですよ。
全部僕の負債に勝手になってた。それが途中で分かり、それで非常に揉めて完全に絶縁みたいな。埼玉の獨協大学に行っていたんですけど辞めました。
で、地元の栃木の高校の先輩が、ラーメン屋さんを東京に新しく出すっていうので、「タイミングいいから一緒に来いよ」つって。で、東京にラーメン屋出すことになったんです。けどまあ激務で、一日17時間労働。
気が付いたら、湘南の海に座ってて、どうやってそこに行ったかも分からない。覚えてない。完全に頭イカれちゃって、うつになっちゃって。
で、しばらく友達に様子見てもらったりとかしてたんですけど、完全に、社会に帰属したくない力がすごくて、そこから第一発目のホームレス生活をし始めて。
―親との関係も切れてますもんね。
Kohei:ホームレスはトータルで3年半ぐらいやってるんですけど、第1期と第2期があって。第1期で、アメリカのホームレスの成功した人の伝記みたいなので読んだことあったのが、「とりあえず身なりだけはちゃんとしてれば元に戻れる」という話があったんで。
当時は、東京の23区どこかしらで必ず炊き出しをやってたので。炊き出しで飯を確保して、で、小銭を雑誌とか売って稼いで、で、稼いだ分も全部、洗濯代に回してたんですよ。
服だけはちゃんとした状態で、あるとき、たまたま酔っぱらった人に話しかけられて。
で、その人といろいろ盛り上がって話してたら、その流れで仕事をもらえることになり、ホームレスをしながら、スーツを公衆便所で着て、そこから、コールセンターに出勤するみたいな生活が始まった。
「たまたま死ななかったみたいな感じ」——再度のホームレス生活での転機
―住所ない状態で、就職したんですね。
Kohei:完全にコネで。
でも結局ずっと根無し草な状態だったんで、どうにかしなきゃなっていうので、そのコールセンターで付き合った女の子の家に転がり込み。
で、そっから、たぶん6年ぐらいは、いろんな女の子の家を転々としてて、どっかテキトーに仕事に行くみたいな生活が始まり。
で、最終的に、付き合った彼女に振られて。で、お金もない状態で振られていきなり家から出されたから、そっからまた、第2期のホームレスが始まった。
まともに連続して家に住んでたのは3ヶ月以上ない。基本どこかずっと転々として。
あとは、それこそ僕、Twitter始めたのは2008年とかで。めちゃくちゃ早かったんで、いわゆるアルファツイッタラーの前の古のツイッタラーたちがフォロワーにいて。
そういう人たちってかなり頻繁にオフ会とかやったりしてたし、謎のファンみたいなのがいたんです。いたので、Twitterで言ったら「ウチしばらくいれば?」みたいに言われてたんです。
スマホが持ててなかった時期もあるし、スマホはないけどPCがあったみたいなこともあったし、オフラインとオンラインをどうにかこうにかしながら、たまたま死ななかったみたいな感じですね。
―それがいつぐらいの話なんですか?
Kohei:2015年ぐらい、28歳のときぐらいですけど、でもホームレスやってる間に、Cointelegraph Japanっていうクリプト(暗号通貨)系だと世界的に一番有名なメディアがあるんですけど、たまたまそこから仕事がもらえたんですよ。
ホームレスしながら路上でソーラーパネルも背負って、パソコンを打って、メディアのライターの仕事をして。で、給料をビットコインでもらってみたいな仕事を3年ぐらいやってましたね。
―そうか。じゃあライターをやっていた流れで、起業とかをされるようになっていったんですかね。
Kohei:そうですね、そういう感じですね。
元々、自分の持っている知識とか能力を他の誰かが必要とする可能性があると思ってなかった。
全部趣味というか、別にプログラミング始める前からコードは書けたし、たとえば自分のサーバーを設定しようと思ったら自分で調べたし。自分で使いたいアプリを作るみたいなこともしてた。
それは、みんなやってるものだと思ってたし、それこそ英語なんてみんな喋れるって思ってたし。
それまでは全部、自分の趣味として消化してて。そうではなくて、この能力が使えるかもしれないと気づき始めるのが30過ぎてからなんですよ。
意外と誰かの役に立つかもしれないぞって思い始めてから起業家っぽいことをやり始めた。
音楽と暗号——アメリカ的ライフスタイル
―その間に海外行ったりとかしてたんですか?
Kohei:いや海外は行ってないですね。ほぼほぼ埼玉、東京を往復してた。
―じゃあ英語は、どういう経緯で?
Kohei:一番デカいのは、映画とかで流れてくるその劇伴の音楽。
洋詞がついた音楽の意味を調べるみたいなことを始めて、それがちゃんと歌えるようにしたかった。
音楽としてちゃんとカッコイイ英語を喋れるようにみたいなところから英語の勉強を始めてて。
あと、中学時代にヒップホップカルチャーに触れたんですね。当時がちょうど第1次ヒップホップブームみたいなのがきていて、そのときもやっぱり日本語ラップも聞いてたんですけど、アメリカのラップの方が好きで。
そこからヒップホップカルチャーっていうか黒人文化を学んでいくっていうのと、正しいっていうか、まあ、カッコイイラップをするための英語みたいなのを学ぶ中で英語の能力が身についていった。
―なるほど……暗号通貨とかそのへんもやっぱり英語圏のカルチャーから始まってる感じなんですかね。
Kohei:やっぱり文化的な背景というか。日本って反体制みたいな人って大体、左曲がりの人たちじゃないですか。
でも、アメリカはたとえばプレッパーっていう、終末に備える人たちとか、そもそも中央政府っていうか連邦政府以外でも州政府さえ信じない、みたいな人がアメリカっていっぱいいるわけじゃないですか。
そういうカルチャーがそもそも日本にないから、日本語に情報が落ちてない。英語圏にしかないので。今も依然としてそう。
もともと、日本の文化よりもアメリカの文化の方が面白いって思ってた節があって。で、情報としても、学生時代ぐらいから意識的に英語で情報を取る習慣がついてたんですよね。
—じゃあ暗号通貨も英語圏の文化から触れ始めたんですか?
Kohei:も、あるんですけど、暗号の一番の出会いは、小学2年生の時に推理小説読むのがメチャクチャ好きで、モーリス・ルブランとか。
で、シャーロック・ホームズの作品の中に、「踊る人形」って作品があるんです。それに出てくるそのシンボル形式の暗号にめちゃくちゃ惹かれて。
「あ、こうやって特定の人にだけ情報を伝えることができるんだ」ってすごい感銘を受けて、それで、オリジナルのシーザー暗号みたいな、ひらがなとカタカナ使って、担任の先生の悪口を暗号で書いてて。
―そういう原体験があったんですね……しかし、日本でそういう生き方してる人ってあんまいないですよね。
Kohei:会う人会う人に頭おかしいって言われますね。稀有な体験をしているなと。
どうしてこうなったかっていうと、 今までその人に頼るみたいなことをしてこなかった。自分でなんとかしようとするんで、それこそ、アメリカ人っぽい考え方。
―個人主義的な感じですね。
Kohei:基本的に、問題解決をお金でしかできないっていう。
これは完全に家庭環境に依存してると思っていて。家庭環境がハチャメチャだったおかげで、もうどんどん個人として強くなって。
京都で焔ノ香を始めるまで――「縁」で始まったシーシャ屋
―今回はどうして焔ノ香を始めるに至ったんですか?
Kohei:端的に言うと、シーシャ屋をやる予定じゃなかった。
たまたま友達の知り合いがウチの今の社長やってて「web3に詳しい人を会わせてくれ」っていうので、僕はもともとweb3系っていうかクリプト系の歴がもう11年ぐらいなんで、その友達に繋いでもらったんですよ。
繋いでもらって、最初はブロックチェーン系のプロダクトを作ろうみたいな話だったんです。
開発してる中で雑談してて「そういえばウチ使ってない物件があるんだけど、ひげちゃん(Koheiさんのあだ名)、シーシャ屋を昔やってたっていうの聞いてたから、ちょっと見てみる?」って言われて。
ほぼほぼなんも内装いじってないんですよ。10年ぐらいこのまま。マジでシーシャの道具用意しただけなんで。
一棟丸々、1階、2階、3階。で、「いやこれもったいないっすね。シーシャやりましょうよ」って言って始まったのが最初です。
で、あとはシーシャを広めていく活動をしたいというのが、僕が京都に来た理由の1つとしてあって。
鴨川とか熊野寮とかでシーシャを出している中でティノ(焔ノ香の副店長)と出会って、ティノと一緒にお店をやるっていう約束してたんで、どのタイミングでやろうかなと思って。ちょうどいろいろ合致して。
―シーシャ屋は元々やってたんですね。
Kohei:5年前に東京に住んでたときに、会社を立ち上げて、シーシャも立ち上げて。
その経験もあったんで、シーシャは作れるし、経営側からどうやっていくかみたいなのを知ってるから。
で、うちは東山三条という良い立地で。持ち家なんで、かかんないんですよ家賃。
―え? いくら友達の知り合いとはいえ家賃かからないってのはどういうことですか?
Kohei:社長が3階で税理士事務所の手伝いをしていたんです。お父さんが税理士さんでお手伝いをずっとしていて。
で、あるときお父さんが倒れちゃったんです。下半身動かなくなっちゃって。3階に上がれないから事務所も移転しなきゃいけないね、みたいになって。
で、僕とも出会って、1階もこんな綺麗なカウンターだから。シーシャ屋やったらいいんじゃないっていう。ちょうどタイミングが良かった。
10年使われなかった内装は綺麗なまま
―じゃあここって、その税理士事務所は3階だとして、2階、1階はどう使ってたんですか?
Kohei:なんも使ってなかった。10年ぐらい。
―そんなことある? 10年使ってなかったんですか? この状態で?
Kohei:すごいっす。僕も全く同じリアクションでした。
元々は、社長のお父様がお母様向けに、最初から工事をして日本料理をやろうとしていたっていう感じで作ったらしいんですよね。
でも、あまりにも大変ですぐにやめちゃったらしいんですよ。
―えー、作ったのに?
Kohei:そう、全部イチから作ったんだけど、実質1階2階なんも使わず、3階だけ使って。
―そんなことあるんだ。不動産屋から見るともったいないなって思っちゃう。
Kohei:でしょうね。普通に貸してたらどんだけお金入ってきたんだっていう。
東山三条という好立地
―へー。じゃあなんかほんとに縁なんですね。
Kohei:巡り合わせっすね。「やるか」みたいな話が出たのが11月とかで。それで2月1日に始めました。
ホントに京都に来てから全部縁ですね。
―僕(Horiuchi)はひげちゃんと前に一緒のシェアハウス住んでましたけど、そのときも気が付いたらいた、みたいな感じしました。
Kohei:いろんな人といろんなことについて話し合っても、「生活を共にする」みたいな経験がほぼなかったんですよ。
大学時代は本当に、音楽とSEXって感じだったんで。
まあ20代の10年間東京にいたから、次の10年は京都かなと。で、京都に来て京都ならではの文化みたいなのに触れて。
感覚的には20代の10年間はしっちゃかめっちゃかだったんで。失われた20代を取り戻すみたいな感覚がめっちゃあって。
焔ノ香のコンセプト――web3時代のコミュニティとシーシャ
―焔ノ香のコンセプトを聞かせてもらえますか?
Kohei:今後、キーワードとして「コミュニティ」がすごい大事になる。
クリプト的な文脈で言うと今まではweb2.0の世界であれば「一企業が国家に匹敵する権力を手に入れる」っていう世界線でしたけど、web3になるとそれが更に集まり、コミュニティが一国と同じぐらいのトータルでの資産を持つっていうのが現実的になってきて。
そういう分散型国家みたいな考え方って、いわゆるNetwork Stateって言われるんですけど、 国のあり方も変えていこうみたいなムーブメントがある中で、コミュニティをまず京都で作りたいっていう。
あと、「思想から見たクリプト」みたいなことを喋れる人は日本人ではほとんどいなくて。
日本はなんかweb3を国家戦略とか言っちゃってますけど、新しい資本主義ってなんやねんという。
思想面の強化みたいなのを、コミュニティを通じてしていきたい。
実際にウチに来るお店の3割ぐらいが僕に会いに来る人なんですよ。
それが功を奏して、ほぼ半分趣味みたいな感じでweb3勉強会みたいのを起業家の方向けにやってたら、ついに最近、スポンサーがつきまして。
そういう煙を通じた、いわゆる煙(ケム)ニケーション。それこそシーシャは美味しくなきゃいけないんですけど。シーシャを通じて、時間と空間を人と共有するみたいなのがコンセプトとしてあるんで。
座学、実学含めて人がオープンに集まって、いろいろ語り合える空間をコミュニティとして作りたいなっていう。
2階の座敷スペース
―シーシャってなんか、コミュニティができてますよね。
Kohei:そうっすね。いやでもね、シーシャコミュニティが特殊なんすよ。
なんかムラ社会的な、いわゆるシーシャ界隈ってのはあるんですけど、僕はそれが嫌いだったんで。
そういうのではなくて、むしろシーシャを吸ったことない人こそウェルカム。
―シーシャの〝界隈〟みたいなのはやはりシーシャが目的って感じなんですかね。
Kohei:そう、みんなシーシャが〝目的〟なんですよ。でも我々はあくまでシーシャを〝手段〟としてしか使っていない。
けどそういう形で、ITっぽい文脈でやってるシーシャ屋さんって、ほぼ不味いんですよ。シーシャとしてのクオリティが良くない。
そこを払拭した状態できちんとシーシャをおいしくやって、かつシーシャのコミュニティを作る。暗号通貨を利用して、お店のトークンを発行したり。
―焔ノ香ってなんかパッと見、けっこう普通にシーシャ屋だなと思ったけど、そういうコンセプトもやっぱりあるんですね。お店の名前はどうやって決めたんですか?
Kohei:お店の名前は、和っぽい名前にしたいなっていう。で、あとは、火とか煙みたいなのをイメージにするのはシーシャでは結構スタンダードなので。
かといってある程度ミーム化もしたいし、ちょっと攻めすぎも嫌だなと。まあいろいろ考えてたんですけど、焔ノ香に込めてるイメージとしては、焔の香りなんで、火の香りですよね。
で、あとはそれこそスタートアップ的な思考に繋がるんですけど、ウチから小さな火がどんどん燃え上がって広がっていってほしい。
アクセラレーター(スタートアップ企業の拡大支援)っぽいっていうか、京都にアクセラレーター的なプログラムやってるあの友達が結構いて。
それをまあコミュニティとして機能させて、なんかウチに来て、シーシャ吸いながら壁打ちして、アイディアをシェアして。
で、そっからなんかこう、いろんなプロジェクトが生まれたりとか、会社が立ち上がってったりしたら、面白いかなと。
結構そういう人と人が出会うこと自体をコンセプトに前面に打ち出してるとこって多いと思うんですよ。
たとえばそれこそコワーキングスペースとかコミュニティスペースとか。このへんだと清水五条のUNKNOWNさんとか。
ウチはそこにシーシャをガッチャンコしている。
プロジェクターを投影できるコミュニティスペース
焔ノ香の出すシーシャ――シーシャ文化はダシや料理のよう
―この店の目玉みたいなのはあるんですか。シーシャはそうなんでしょうけど。
Kohei:シーシャとしての目玉……シーシャの文化がすごい独特で。味の文化が地域ごとにはっきり分かれてるんですよ。ダシの文化みたいに。関東のそばって食べたことあります?
―なんかダシが「どん兵衛」レベルで違いますよね。色が違うし。
Kohei:めっちゃ濃いし。シーシャも一緒で。東京のシーシャとか、味も濃いし煙もモクモクだし。「アブラマシマシコイメカタメ」みたいな感じのシーシャが出るんですよね。
それに対して関西のシーシャは、京だしみたいな香り高いシーシャ。で、煙の質にはみんなほぼこだわらない……みたいな感じなんですけど、僕の師匠は東の人なんで。
東風なんだけど西の人も喜べるシーシャが出る、っていう。なので、西のシーシャ文化に慣れてる人がここ来て吸うとハマっちゃう。
―そういえばKoheiさんはシーシャにはいつ出会ったんですか?
Kohei:2016年ぐらい。もともと大宮にHoneyHoneyっていうメイド喫茶があるんですけど、そこの常連だったんですよ。そこでたまたま出会った人とすごい仲良くなって。
で、その人とシェアハウスをするんですけど。その人もともとヒップホップの畑の人で、めちゃくちゃ話が合って。
その人がシーシャにハマって、その影響で僕も始めた。その人が、僕のシーシャの師匠なんです。
―じゃあシーシャって、作り方レベルとかでけっこう違いがあるんですか?
Kohei:これはマジで難しいんだよなあ。なんか科学的なアプローチで。それこそシネマトグラフのレオ君とかは熱力学とかやってる人なんで、風の通りとか熱伝導率とか計算した状態でシーシャ作って出してるんですよね。
でも、基本的にみんな大体感覚で作ってるんですよ料理と一緒で。なのでどう作るっていうよりかは、誰が作るみたいなのがめっちゃ重要で。
街中華のチャーハンでも地域によって全然味違うし、べちゃっとしたチャーハンでも美味しかったりするみたいなことはあるんで。
言語化するのは難しくて。具体的にどうっていうよりかは、たぶん、誰にシーシャの作り方教わったのかっていうのがデカいかもしれない。
―もう本当に料理人の世界だ。
Kohei:面白いのは、たとえばどっかのシーシャ屋で働いてて辞めます、で、別のシーシャ屋で働き始めますってなったときに、完全にお客さんも移行しちゃうんですよね。
その人のシーシャが吸いたいから。その人が辞めたせいで元々働いてたシーシャ屋がつぶれるみたいなこともある。
―シェフみたいな感じですね。
Kohei:一概に作り方だけ言っても、たぶん完全に同じグラム、同じ条件、同じ形で作っても誰が作ったかで味が変わっちゃう。
料理本に書いてある通りに作っても全然うまくない料理ができるのと一緒っすね。
これから店を始める人へ――客じゃなくてファンを作ろう
―このインタビューはこれから店を始めたい若い人に向けてっていうコンセプトもあるんで、マーケティング的な側面についても聞きたいです。
Kohei:普通、お店出すってなったら、駅から近いかとか立地を超気にするじゃないすか。
でもシーシャ屋って、ほぼ関係なくて。うちはたまたま立地めちゃくちゃいいですけど。単純に界隈でいいお店があったら全国から人が来る。
客層を絞って、きちんと口コミで広めてマーケティングしていけばお客さんが来るのがシーシャ屋ですね。時間はかかりますけど。
とはいえまあ1年半ぐらいで軌道に乗せたいなっていうのは当初からあって。そうなったときにただのシーシャ屋だと絶対無理だから。
っていうところであの手この手考えて、web3界隈呼んだりとか、イベントやったりとか、シーシャを道具にしてここをハブにしていろんな人を集めていきたいみたいなのがある。
―価格帯はどうやって決めましたか?
Kohei:これがマジで難しくて。少なくとも僕がシーシャを始めた時のタイミングと比べると、平均的なシーシャの価格が2倍ぐらいになってるんですよ。
当時は1800円から2300円ぐらい相場だったんですけど。今は基本的に2500円から3600円ぐらいになってるなと。
ウチの価格は東山三条価格というか。でも、あんまり土地柄に合わせきると……多分本来は4000円ぐらい取らないといけない感じなんですけど、それだと学生さんとか来づらいですし、中間を狙ってる感じです。高すぎず、安すぎず。
シーシャ屋は薄利多売でやっちゃうと、完全に終わるので。ギリギリ高単価を保ちつつ、かつ、お客さんがリピートできるぐらいのギリギリの価格ですね。
最初、外国人向けだけ「円安価格」で価格上げるかみたいなこと考えてたんですけど、でもそれだと人種差別になっちゃうから。
まあ、明らかに一人単価で考えると、外国人の方が多いお金を落としてくれるんだけど。
初心者にも分かりやすいフレーバー分類
―ターゲットは絞ってるんですか?
Kohei:ターゲットは、やっぱり、ある程度長くやっていかないと。外国人観光客も始めたときは戻ってきてなかったんで、どれぐらい人が戻ってくるんだろうって未知数だったんで、最初はあえてそこまでギチギチにターゲット絞ってなかったんですよ。
ただ、共通してるのは、いわゆる界隈のシーシャ好きよりももうちょいライト層を狙う。
たとえばデートで、こういう和モダンな雰囲気で、落ち着いた場所でシーシャが吸いたいカップルとか。
あと最近は、なんかこう、同伴でおじさんと若い女の子とかもあるんで。
―ああたしかに、ちょっと祇園から近い。
Kohei:そうそう。ちょうどカウンターだし。おじさんはお酒飲んで。女の子はシーシャ吸うっていう。
―それは面白い。そういう売り方って始める前から考えてたんですか?
Kohei:あ、でもやってくうちからかな。やってみないとわかんないなっていうのであんまり絞ってはいなかったし、それこそメニューの内容とかお店の雰囲気とか。かけてる音楽もいろいろ試行錯誤して。
ということで言うと、来るのはカップルか、本当にシーシャ好きで数人でくるお客さん。
あとまあ、単純にシーシャ吸いにくるお客さんと、web3界隈の僕に会いに来る人。ティノに会いに来る人。で、あとはドロップイン的に、たまたま入ってくる人。
―これから店を開業される人に対してアドバイスはありますか?
Kohei:ファンを作りましょう。客じゃなくてファン。これは名物店主でも、お店の名物でもなんでもいいんですけど。
―なるほど。スタートアップだとそれがいいですよね。シーシャが口コミで広まるとか、誰が作るかによって違うっていう話もありましたし。いろんな意味でファンを作った方がいいということですね。今日はお忙しい中ありがとうございました。
Shisha Cafe&Bar 焔ノ香
営業時間:午前11時から午後11時
所在地: 〒605-0012 京都府京都市東山区西海子町53−2
お問合せはShuJu不動産まで。
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