ご相談・お問い合わせ
サムネイル

2023.08.18

在野の研究者たちのオルタナティブスペース「下鴨ロンド」 本間智希さんインタビュー(前編)

Horiuchi

リード画像©︎Tomohiro Ueno©︎Tomohiro Ueno

 

ここは左京区、川に囲まれた下鴨エリア。

住宅街に91年の歴史を持つ洋館が佇んでいる。

解体目前だったこの家は、

いったいどのような経緯で生き延びたのか。

さまざまな縁によって少しずつ修繕されていき、

これからどんな顔を見せるのだろう。

インタビュー、構成:堀内翔平

 

 自分のスペースを始めたいお客様にむけて、ShuJu不動産では、自身の通うオススメの場所を紹介していきます!!

 今回は、京都を拠点に文化遺産や空き家の保全・活用の実践をされている建築史家の本間智希さんをインタビューします。

 


 

東京から京都へ。住む場所がなくなり始まった吉田のシェアハウス

shimogamorondo-本間智希©︎Yuma Hashimoto

 

本間:もともと東京出身で、建築の歴史が専門で大学院の修士までは東京の大学で出て、10年前に京都に移住しました。RAD(https://radlab.info/about)という建築のリサーチを専門にしたアソシエーションの集団に参加するためでした。

RADは僕を入れて4人なんですけど、修士を出て縁もゆかりもない京都でいきなりフリーランスになったので、いろんな人に心配されて。自分でも無鉄砲だったなと思います。

 

RADのメンバーの1人の家が下鴨にあって。その一軒家に居候させてもらうことになって。家賃も格安だったので、「なんとか生きていけるだろう」と思って京都に来たんですね。

 

ですけれども、来てみたら家主のメンバーに

「来年結婚することになってこの家に住むから1年後には解散で」

と言われて。

「マジすか」とアテが外れたんです。

男6人で住んでいたのですが、シェアハウスというよりは同居人同士はほとんど交流もなく共同生活のような趣きで、困ったことがあった時に少し話すくらいでした。

 

いよいよ1年経って解散というタイミングで悩みまして。

東京では実家暮らしでしたし、京都に来て最初にシェアハウスだったので、わざわざ白物家電を揃えなきゃいけないのも面倒だし、蔵書がたくさんあるので、いまさら1人暮らし用のワンルームを借りるイメージが全然できなくて。

やっぱりシェアハウスみたいなところじゃないときついなって思っていました。

 

東山にあるHAPSさん(https://haps-kyoto.com/)という京都のアーティスト支援の団体があるのですが、その事務所をRADが改修した縁もあり、公私ともに付き合いがありまして。
HAPSさんも芸術家向けに空き家活用の不動産のマッチングをしていたので、HAPSの人と雑談していて「引っ越さなきゃいけないんですよ」と話したら、「ちょうど明日リリース予定の物件があるんだけど興味ある?」と言われて。

それで見に行ったのが、吉田下大路町の家でした。

その時点で自分しか決まってなかったんですけど、その場で借りますと即答して。
吉田の一軒家をシェアハウスにしようという話になったのが2015年の春でした。

 

家は、戦後にできた普通の木造2階建ての一軒家で。

もともと下宿用に建て替えた家だったので2階は6畳の部屋が5部屋あって、1階には大家さんのお母さんが住んでいたそうです。そのお母さんが施設に入られて、2階も部屋貸しでは入居率が不安定だったようで、大家さんも困っていて、一棟丸々でちゃんと見てもらえるような人を探したいということで、HAPSさんに相談されて、その話がタイミング良く僕に紹介されたっていう感じだったんですね。

 

 

学術ベースの交流が盛んだった鴨東棲家

鴨東棲家

 

京都に移住してRADとして活動していく中でいろいろな知り合いが少しずつ増えていって、ちょうど吉田の家の話がある直前に京大の博士課程にいた言語学専攻の人と知り合いになって。

 

その学生もちょうど部屋の更新時期が来ていたタイミングだったようで、「シェアハウスを始めようと思ってるんだけど」という話をしたら「面白そう。住もうかな」となって。

 

その学生がまた別の京大の社会学の博士課程の友人を紹介してくれて、最初は3人で入居することになりました。

 

それから僕の引っ越しを手伝ってくれた、当時、京都府立大にいた建築の学生が「え、本間さんここに住むんですか」と興味深そうに家の中を見てまわって「面白そう」みたいな感じで言うから、「じゃあ住む?」と誘ったら、「えー、住もうかな」みたいな、そういう軽いノリで住むことになって。1ヶ月遅れでその学生も入居して、4人になりました。 

 

半年後ぐらいに最後の1人も入居して、5人になって全部屋が埋まりました。

 

鴨川の東側なので「鴨東棲家(おうとうすみか)」っていう名前にして、当時はゼンリン住宅地図にも掲載されていました。 

 

2階は個室ですが、1階の部分は共用の書庫と和室が2間とキッチンとダイニングがあるので、よく京都に来た入居者の友人・知人が滞在していました。

 

研究者や建築家の知り合いが泊まりに来てくれたり、その度に皆で食事会をしたり、上映会をやったり、スライド会をしたりして、シェアメイトだけでなく京都に住む友人知人にも声をかけて交流するような場となっていました。

 

また、道に面したテラスが結構広かったので、食卓をテラスに設えて、外壁にプロジェクターを投影して泊まりに来た映画監督の映画の鑑賞会をやったりとか。道行く人も、それを観たりしていました。

 

毎年開催の周年を祝う棲み開き会毎年開催の周年を祝う棲み開き会

 

テラスでの映画上映会テラスでの映画上映会

 

毎年夏に開催された吉田東通夜市では祭り会場の中心に位置毎年夏に開催された吉田東通夜市では祭り会場の中心に位置

 

 

鴨東棲家は私が入居者代表で、シェアメイトの退去が決まったら、なるべく空きが出ないように友人知人の伝手や口コミで新しい入居者が入るような感じで、入れ替わり立ち替わり5年ぐらい続きました。

 

HAPSさんに紹介いただいた物件でしたが、僕自身は芸術家ではなく建築史の研究者を自認していましたし、シェアハウスも京大に近いこともあり、学術系というとちょっと堅苦しいですが研究系の人がよく入居していて、研究系と建築系のシェアハウスみたいな性格だったのがユニークでした。

 

その5年は自分にとって京都での価値観や人脈を形成する上で大きな経験になりましたが、僕が結婚するタイミングで、他に引き継いで運営してくれる人もいなさそうだったので鴨東棲家を解散することになりました。

それが2020年3月なので、2015年から丸5年ですね。

 

北山杉の里・中川地域での調査で出会った空き家

奈良文化財研究所本間さんが勤めていた奈良文化財研究所(Wikipediaより)

 

京都移住当時も今もフリーランスですが、吉田でシェアハウスをしていた期間、縁あって奈良文化財研究所(https://www.nabunken.go.jp/)に任期付で就職しました。

在籍時に調査研究したフィールドの一つが京都の北山という地域で。

北山駅界隈ではなくて、もう本当に山の方の北山です。

 

ちょうど僕が奈文研に出入りするタイミングで中川という地域の調査が始まって、任期が切れるタイミングに調査報告書が刊行されたので、まるまる中川を担当したみたいな感じになりました。

私自身は建築史の研究者なので、中川の集落の建築調査をメインでずっとしています。

調査の許可をいただいたお宅に一軒一軒入らせていただいて、間取りなどの実測をしたり、住み方の聞き取りなどの調査をしていました。

そんな中、「あの家は空き家だから、いくらでも実測調査して大丈夫だぞ」と紹介いただいた家があって。

 

それで出会った空き家が、その後譲っていただくことになった、いま固定ツイートのトップにしている家(https://twitter.com/tmkhnm1986/status/1272851246592831489)だったんですね。

中川は北山杉という銘木の産地で、北山林業を生業にしていた家の一軒で、中川の建築調査をしてきた中でも生業によってできた暮らしの形や痕跡が至るところによく残っている家で、惚れ込んだのが理由でした。

中川は100軒ぐらいの地域ですが、中山間地域で林業も元気がなく担い手が減り、少子高齢化が進んで、空き家も増えている状態でした。
その家も長らく老夫婦で住んでいたようですが旦那さんが亡くなって、奥さんも高齢になり施設に入って空き家となってしまったようで。

瓦葺きの屋根ですが全体的にかなり傷んでいて、もう全体雨漏りみたいな状態で、地元の人からも「やめておいた方がいい」と言われるくらい傷んでいました。

相続された近所の親戚の方も困っていて、なかなか買い手が見つからず「解体して更地にしようかな」みたいなことを話していて。

 

「解体したら同じようなものは二度と建てられない」と思って。

ひな壇状に広がる集落の中にあるので、ここにぽっかり空き地ができちゃうのは、集落の風景としても大きな空白が出来てしまうという危機感もあって。

 

解体されかかっていた家の購入を決意

北山の家の空撮(本間撮影)北山の家の空撮(本間撮影)

 

改修前の北山の家の屋根の空撮(本間撮影)改修前の北山の家の屋根の空撮(本間撮影)

 

「そういうことでしたら、僕に譲ってもらえませんか」と話をして。結局、所有者さんと直接契約させてもらったんです。

 

最初に話をした時とある不動産屋さんが微妙に仲介していて、大手不動産サイトに当初聞いた金額の4倍ぐらいの金額で「田舎暮らしに憧れる人向けの古民家物件」というような感じで掲載されていて。それを見て言葉が悪いですが正直ふざけんなって思いました。

不動産屋さんはそれで飯を食べているのでしょうけど、所有者さんの懐に入るわけでもない金額でとてもそんな額を払えるかと思いましたし、様々な点で大事な局面にある地域に「田舎暮らしに憧れ」なんて牧歌的な動機で移住してきた人と地域との関係づくりも考慮されておらず、「田舎暮らしに憧れた人がうっかり買ってくれたら利益出てラッキー」くらいの雑さと乱暴さを感じました。

 

現に不動産屋を介して内見が結構あったらしいんですけど、ほぼアジア系の人だったそうです。

近年、京都の町家も居住目的ではなく投資対象として外国人にどんどん買われていますが、そういう目線が、こんな周辺の集落にまで広がっていることに危機感も感じました。

ちゃんとお金をかけて良いように直してくれる場合もありますし、一概に東洋の人たちが悪いとは全然思わないのですが、歴史と文化のあるコミュニティが続いてきた地域に全く文脈のない人が突然入ってくる状況は双方にとってもリスクが高いのではと思いました。

 

それでしたら前職の調査で地域の多くの方々にお世話になって名前と顔も覚えてもらいつつあって、調査させてもらったご縁もあったので譲ってくださいと相談させてもらって。任期付研究員の身分で払える金額は限られるので、不動産屋さんは外させてもらって、所有者さんと直接売買で契約させてもらったのが2018年です。

 

危機感と謎の使命感で勢い家を買ったは良いものの、だいぶ痛んでいたので「何から手をつけたら良いのやら」とモヤモヤしながら、前職にも在籍していたのでとりあえず1年は放置していたんですね。

その間、地域内の他の空き家も「本間になら使ってもらって良い」と言ってくださる方がいて、もう1軒譲っていただく話が浮上して。これはもう1人では抱えきれないと思い、ならば北山の環境や文化に魅力と可能性を感じて一緒に継続的に関わってくれそうな仲間を集めようと思い、仲間集めをして、退職後に北山舎という法人を設立しました。

もう1軒は北山舎の拠点として、法人で購入させてもらいました。

 

北山舎として購入した物件北山舎として購入した物件

 

その後、結婚することになって吉田のシェアハウスも解散することになって。

結婚後は伏見に住んでいますが、伏見と北山の2拠点というか、伏見から北山へ家を直しに通う生活になっていきました。北山の家が完成したら家族で移住予定ですが、3年ほど続けていますが、まだ北山の家を直し続けています。

 

*****

本間さんらを中心に北山の文化遺産と風景の継承を目指す北山舎について詳しくはコチラhttps://kitayamasha.org/

*****

 

ですけどね、伏見と北山というと京都盆地の南と北なので、真ん中の市街地はすっ飛ばして車で1時間ぐらいですけども、完全に車生活になってしまったんです。

吉田に住んでいたときまでは移動手段は基本的に自転車だったので、縦横無尽に市街地を移動しては町の風景に細やかな発見があったり気軽に寄れたのですが、なんていうのかな、車に代わって移動範囲は広がったようで行動範囲は狭まってしまって。やっぱり車だと市内で気軽に止めて移動とはなかなかないですし、車の移動スピードでは見逃してしまうことが多くて。

 

ほとんど市街地に寄らなくなっちゃったし、車なので人付き合いも減ってきてあんまり良くないなと思って。

それに、吉田で鴨東棲家というシェアハウスをやっていた時のような色んな人が交差するような居場所は、中山間地域の北山だと少なくとも現状では厳しいし。

今住んでいる伏見の家も小さな町家なのでスペース的に厳しくて。

 

解体目前だった下鴨の洋館にアプロ―チ

修繕前の洋館の客間©︎Shotaro Ichihashi修繕前の洋館の客間©︎Shotaro Ichihashi

 

繕前の洋館のキッチンダイニング©︎Shotaro Ichihashi修繕前の洋館のキッチンダイニング©︎Shotaro Ichihashi

 

そんな状況で下鴨の洋館にアプローチしたのが、2021年の秋でした。

自転車生活だった時は、仕事半分趣味半分で「いい建築、おもしろい建築ないかな」とよく一人で町の散策をしていて。京都の町をなるべく体験的に把握したいという意図もあって。

それで、下鴨の住宅街を歩いていたら、「お、洋館がある……空き家っぽいな」と遭遇したのが今から7年前の2016年ぐらいでした。それ以降も気になる存在で、近くを通ったときはわざわざ寄ってみて、「あ、まだある」と確認する日々が続きました。

 

5年間ただ外から見ていただけだったのですが、2021年の秋に意を決してアプローチしてみようと思って。

前の駐車場を管理している不動産屋さんの看板が貼ってあったので「多分、同じ所有者さんだろう」と思ったのですが。ただまあ、不動産屋に対してこう……毛嫌いがあるので僕は(笑)

 

電話口に怖そうな人が出てきたらどうしようと思いながら電話してみたら、とても柔らかな印象の方が出てくださって。

建物も同じ所有者さんですよと教えてくれて。「建築を勉強している者ですが、勉強のために建物の中を内見させていただくことはできますか」とお願いして。

それでokをいただいて見学させていただくことになりました。

 

中を見てみると、作り付けの棚とか昔ながらの設えがとてもよく残っていて、昭和初期特有の和洋折衷のデザインに息を呑みました。

 

修繕前の洋館の居間©︎Shotaro Ichihashi修繕前の洋館の居間©︎Shotaro Ichihashi

 

修繕前の洋館の階段室©︎Shotaro Ichihashi修繕前の洋館の階段室©︎Shotaro Ichihashi

 

ただ、10年以上空き家だったそうで、ほとんど窓も開けないことで室内の空気が空き家特有の澱んだ状態だったんですね。

だけど幸いなことに構造的に致命的な痛みがなさそうで、目立った雨漏りもなくて、北山で買った家よりずっと状態が良くて(笑)

 

それで、不動産屋さんを介して所有者さんに建物に関する意向を伺ってみたら「もう維持できないので解体して、更地にして、駐車場にしようと思っていたところなんです」という話で。

オーナーさんもご高齢で、同じ京都でもちょっと離れた地域に住んでいるので維持管理のために頻繁に通うことは難しくて。

 

排水不良でトイレも使えなかったり、普通に家族向けの賃貸としてオーナー側でイニシャルコストをかけて修繕・改修することはもう出来ないと。

維持管理もできないし、固定資産税もかかるということで、 解体する方向で話は進んでいたそうですが、海外に住むご長男も忙しくて、コロナ禍もあって、5年ぐらい動きがない状態だったようで。

 

そのタイミングで僕からの連絡があって、オーナーの旦那さんが育った家なので「残せるものなら残したい」とおっしゃっていたので、「それでしたら、僕は建築をやっていますし、非常勤講師もしているので学生の建築の勉強にもなりますので、色々な人を巻き込んで、みんなで直しますので、使わせてもらえませんか」と相談させてもらって。

 

「そういうことでしたら、ぜひお願いしたい」という話になりました。

それが2021年の12月でした。

 

 

改修資金で難航していたところに現れた助け舟

ですが、実際にどのように契約するかとか、改修資金をどう工面するかとか、どういう風に運営・運用していくかとか課題山積で。

なかなか難航してしまい、当初一緒に借りようと声をかけていた人たちとも不調になって解散してしまい、メンタル的にも挫折しかけました。 

 

でもその間も、まだ契約してないけれども、オーナーさんにOKいただいて、ちょっとずつ掃除や残置物の片付けをさせてもらったりしていました。

裏に庭があるのですが、昼でも暗いほど庭木が育って鬱蒼と茂っていたんですよ。

その庭木も、自分たちでできる範囲で少しずつ剪定して。

その間もオーナーさんのところへ通い、家や家族の歴史についてお話を伺ったりして、1年ぐらいかかりました。

 

裏庭©︎Tomohiro Ueno裏庭©︎Tomohiro Ueno

 

剪定作業剪定作業

 

片付け©︎Tomohiro Ueno片付け©︎Tomohiro Ueno

 

掃除作業掃除作業

 

話が戻りますが、2回目に内見させてもらったときに「屋根裏のぼらせてもらっていいですか」とお願いして。仕事柄、建築調査のためによく屋根裏に登るので。

そしたら、屋根裏に棟札(むなふだ)という、建てた当時の大工さんや年代が書いてある記録が残っていたんですね。こういう木造の住宅では今でも上棟式の建築儀礼で屋根裏に納めるんですけども。

 

屋根裏調査屋根裏調査

 

棟札棟札(部分拡大)

その棟札で、昭和7年に竣工して、設計施工があめりか屋https://www.americaya.com/)という建築会社だと分かったんです。

あめりか屋は日本の住宅の近代史を語る上では必ず登場するほど有名というか重要な会社で。

名前の通りアメリカから日本へ西洋式の住宅を持ち込んで普及させた、日本で最初期の住宅専門の会社なんです。

 

明治に東京で創業して一時期は日本各地に支店があったんですけど、現在はほぼ唯一、京都にだけ残っていて。しかもその京都店は下鴨にあるんですよ。

 

それで、改めてウェブサイトを調べてみたらトップページのお知らせ欄の1番上に「情報提供のお願い」とあって、「戦前の建物に関して情報をお持ちの方はお知らせください」と書いてあって。ちょうど今年2023年が、あめりか屋京都店の創業100周年なんです。それで社内で100周年の記念誌を作っているそうで。

ものすごいタイムリーで、明記してあった連絡先にメールしました。

 

そしたらすぐに、自転車で社長と社誌の担当者が来てくださって。

それ以降、実際どれくらい工事が必要そうかなど相談に乗ってくださったり、一緒に片付けや掃除や庭木の剪定を手伝ってくださったり、資金繰りも含めて全面的に協力してくださって。

 

僕が難航しているのを見兼ねて、イニシャルコストの改修資金をあめりか屋さんが立て替えてくださると申し出てくださって。

簡単に形式的な説明をすると、オーナーさんに最初2年間分の家賃を先払いする体でその合計金額を改修資金に充てさせてもらい、その金額をあめりか屋が立て替える代わりに、僕たちは建物を活用・運営することで、あめりか屋に月々コツコツと返済していく、という形です。

最初2年間はオーナーさんには家賃は入ってこないんですけど、オーナーさんには固定資産税としてかかる金額を1年分ごとに2年間僕らがお支払いするという形にしています。

なので、オーナーさんとしては持ち出すお金が一切なく建物の修繕ができる、僕らは自分たちの使いたいように改修させてもらえる、あめりか屋としては自社が手がけた戦前物件の活用事例となる、という3者にメリットがあるような形で合意しました。

 

ものすごい特殊事例なので、他の事例の参考にはならないんですけど、3者ともに信頼関係があってこそ成立する方法になりました。

 

使いながら直していく、会員制のシェアスペースへ

shimogamorondo-living room2

 

契約としては10年の定期借家契約にしました。

 

契約を手伝ってもらった不動産屋さんには「普通貸借契約の方が借主に有利ですよ?」と提案されましたが、オーナーさんからも息子さんからも「なるべく長く借りてほしい」とお願いをされたので、少なくとも10年は責任を持ってお預かりさせてもらおうと思っています。その後どうするかは、またその時が近づいてから相談しましょうと。

 

今年2023年の4月運用開始で、あめりか屋さんには5年で完済する計画だったのですが、結局なんやかんや100万ぐらい費用が膨れて、6年はかかるかなという状態です。

 

返済の資金はどうしていくかというと、この家を会員制のシェアハウス・シェアオフィスみたいな形で、不便な環境から少しずつ改善していく過程も含めて一緒に関わってくれそうな人を今年3月にTwitterで募ってみたところ、とても反響をいただいて。

 

ご連絡いただいた中から、タイミング的にも互いのイメージ的にも合いそうな方から内見してもらい実際に会って話をして。現在は15人ほどで利用しています。

会費の収入から、イニシャルコストでかかったあめりか屋さんへの返済資金、今後必要な工事費の積み立て、場所の運営資金、大まかに3つの予算に分配していく形を取っています。

 

まあまあ広いので、とてもじゃないですが最初の段階で全てを綺麗に直してから使い始めるというのはできないので、使いながら少しずつ直していくという方針です。

10年かけて家や敷地全体を健全で良好な環境にしていこうと。

昭和7年建築ということは今年で築91年なので、洋館が築100年を迎えるのを皆で見届けようという話をしています。

 

最初はトイレも使えない、もちろん水も止まっているし、ガスもない。電気も91年前の配線のまま。

まず最低限の生活インフラを整える工事を、あめりか屋さんに立て替えていただく第一期工事として、3月下旬から行いました。

電気ガス水道など設備関係は業者さんに入ってもらっていますが、なるべく僕らが手を動かせるところは動かして直していくことにして。

5名ほどの建築分野の有志が営繕チームとして率先して修繕や改修に関して考えて動き、学生を含む作業ボランティアが参加できる範囲で一緒に手を動かしていきます。

床板の加工作業©︎Yuma Hashimoto床板の加工作業©︎Yuma Hashimoto

 

障子の張り替え©︎Yuma Hashimoto障子の張り替え©︎Yuma Hashimoto

 

給水管埋設作業©︎Yuma Hashimoto給水管埋設作業©︎Yuma Hashimoto

 

営繕チームには設備工事ができる建築家さんも参加していて心強かったです。

皆で掃除をしたり、ボロボロの障子を張り替えたり、給水管を埋めるために建物周囲をぐるりと掘ったり、キッチンの床に古材の床板を貼ったりして。

今後まだまだやるべきことはありますが、7月にようやく新しいキッチンが入って、最低限の環境がひと通り整ったところです。

 

 

*****

 

本間智希さんのインタビューは後編に続きます!

 

下鴨ロンド:

Twitter

Instagram

note

 

 

お問合せはShuJu不動産まで。

LINEの公式アカウントは【こちら】をクリック!

 

ShuJuのその他のインタビューはコチラ↓

Bar電球さん「Bar電球 おいしいお酒とごはんのすゝめ

バーリンクスさん「抜刀シーン有!疾すぎる漢、冨澤友佑

デカい穴さん「まさかの閉店インタビュー⁉一体、何があったん?

Shisha Cafe&Bar 焔ノ香さん「ここは水煙草とweb3の交差点、世界は何でも起こり得る。

ライト商會さん「喫茶と骨董 佐藤飛行器

シーシャ屋 SLOTH KYOTOさん 「落ち着いた空間でゆったりとした時間を

BAR Katharsisさん「現役京大生が経営する、語れるBAR

horiuchi_profile
Horiuchi

ShuJuの代表兼宅建士。京都大学総合人間学部を卒業し、修士、博士課程と順調に進学していくも、「俺は学問だけじゃなくて、シェアハウスに関わる全てのことに携わりたい」と宣言し、まさかの中退。不動産業に従事していたことから、そのまま宅地建物取引士を取得。 得意なことは社会学、契約関係、税金関係。『長い間、アカデミアに籍を置いてきました。これからは皆様のお住まいや不動産での資産形成にご協力していきたいです。私はお客様からの連絡をいつでもお待ちしています』とにこやかに語る。

この物件を問い合わせる

CONTACT
お問い合わせ

ShuJuがお住まい・
シェアハウス探しのお手伝いします。
お気軽にご相談ください。