
2025.10.17
扉の向こうに残る灯 ― 喫茶よるべと、下鴨から北大路へ続く小さな時間の記録 / 店主・松井貴之が語る人生とこれからの京都
最初は閉店したお店の相談だった。
お店の扉を開けると、そこには使われなくなった年季の入ったバーバーチェアがあって、
壁には自分の年齢より歳上の開業届が額縁に仕舞われていた。
何十年も言葉を交えながら、営んできた店は、
一瞬で人々の記憶からも消えるかもしれない。
だけど、僕らと出会うならば、小さな歴史となって生きていって欲しい。
ここは左京区、僕らの過ごす町。
〜近くの銭湯に張り出したビラから紡いだ物語〜
インタビュー&構成:HOSOYAN
写真:いずみりょうま
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今回は下鴨西通りにある喫茶よるべの店主・松井貴之さんにインタビューします。
【この記事でわかること】
喫茶よるべ
松井貴之のおもしろさ
北大路から下鴨エリアのこれから
疲れたおじさんたち
疲れ切った松井さん
HOSOYAN:昔はインタビューフォームもあったのですが、やめました。その日の体調によって、インタビューの内容は変わっていくと考えているので。
松井:体調どうなんですか?
HOSOYAN:今日は悪いです。飲み会の二日酔いが未だに治らなくて、とても疲れてます(笑)
松井:辛いですよね。僕は、昨日の深夜営業でもう体力が残ってないです(笑)
第1章:西京極で育った少年時代と、勉強を“なめていた”高校時代
HOSOYAN:松井さんはどちらの出身なんですか?
松井:生まれは宮津市です。育ったのは、京都府市内ですね。
HOSOYAN:そうなんですか。
松井:(京都市内を)転々としてるんですよ。最初は右京区、次に住んだのが伏見区で、その次が上京区です。
HOSOYAN:ホームタウンはどこになるんですか?
松井:中学生までは右京区でした。高校に進学するにタイミングで伏見に引っ越しましたね。でも、高校自体は京都の中京区でしたので、伏見区に対しての思い入れはあまりないです。
HOSOYAN:右京区のどこで育ったんですか?
松井:葛野大路五条あたりです。
HOSOYAN:・・・・(何とも言えん)
松井:駅的に言うと西京極とかになるんですよ。
HOSOYAN:はいはい。あのコーナンプロのあたり。
松井さんの育った西京極
松井:そうです。まさにコーナンプロの近くです。あそこから歩いて10分ぐらいのところに住んでました。
HOSOYAN:あと、リサイクルショップと教習所とか。
松井:そうそう。もう、全然、街のイメージがないじゃないですか。
HOSOYAN:ないですね。子供の遊ぶ場所がイメージつかないんですけど、どこで遊んでたんですか?
松井:自転車で西京極運動公園へ行ったりしてましたね。
HOSOYAN:僕の偏見ですけど、西京極は少しストリートな感じがします。もしかして、そのタトゥーの文脈は、西京極から?
松井:いや、西京極にルーツを求めたくないですね(笑)
中学3年生まで遊んでました。
HOSOYAN:高校はどこだったんですか?
松井:二条城の近くの朱雀高校に通ってました。
HOSOYAN:どうして朱雀高校だったんですか?
松井:めっちゃ、なめてたんですよ。当時の僕は、なぜか勉強できたんです。塾内の模試でも上位3番目とかでした。それで勉強したくないし、遊びたいから、全く勉強しないで入学できそうな学校にしちゃったんですよね。
自嘲気味の松井さん
HOSOYAN:僕らの周りって、地頭がいいけど、調子に乗って人生の梯子を外す人が多くないですか?
松井:耳が痛い(笑)
そんな感じだから、高校進学しても勉強しない。当然、右肩下がりになるんですね。最後らへん、見たこともない点数を取ったりしました。
HOSOYAN:もう、(学力の)貯金なくなってるからですね。高校卒業した後はどうしたんですか?
松井:あの「秋元康」が副学長になった京都造形大(現在の京都芸術大学)の京都芸術デザイン専門学校に進学しました。そこで空間デザインコースを学んでたのですが、これは建築そのものを学ばないとダメなんじゃないかと思って。
HOSOYAN:あれ?
松井:卒業してから、2年間くらいアルバイトして、もう一回、京都建築専門学校へ進学しました。
HOSOYAN:高校あたりから雲行き怪しかったですけど、順調にジョブチェンしていってますね。
第2章:建築を学び、東北へ ― 「かかっていた」時代
第3章:写真屋からカフェへ ― コミュニティの誕生
